補足・解説


 揮発性有機化合物のことをVOC(Volatile Organic Compounds)の略称で呼びます。蒸発しやすく(揮発性といいます)、大気中で気体となる有機化合物(化学物質)の総称です。

 

 VOCは様々な成分があり、主なものだけでも200種類はあります。

 

 塗料や接着剤、インクなどに含まれる溶剤やガソリンから揮発してくるトルエンやキシレン、金属や機器の洗浄に使われるトリクレン(トリクロロエチレン)、塩化メチレン(ジクロロメタン)などはその代表的な成分です。

 

 このように、VOCは、塗装、建設工事、印刷、脱脂洗浄や自動車への給油など、様々なところから排出されます。

 

 都内では、2015年度の1年間の排出量は約6万トンであり、工場やガソリンスタンド、工事現場などの固定発生源から約7割、自動車や航空機、船舶などの移動発生源から約1割、一般家庭やオフィスから約2割排出されています。

 

出典:東京都環境局ホームページ

 

§1にもどる

 

 14頁の下から10行目に「自動車による排気ガス汚染を上回ってきている。」とあります。これは15頁の表1-①のB-2~8を指しているのですが、そのB-2は自動車からの排気を含んでいるので、ちょっと混乱した文章です。さらには表1-①は著者のオリジナルな考えで、B-8とされた「プラスチックごみの不適切処理(不明物質の大量発生)」は公式には認められていません。そのために杉並病以外に寝屋川病という、廃プラスチックリサイクル施設からのVOCによる健康被害が発生しました。この本の内容が広く知られることで、「プラスチックごみの不適切処理により有害な物質が大量発生する」ことが周知されることを願っています。

 

§1にもどる

 

 26頁の2番目の段落の文章は、ちょっとわかりにくいと思います。杉並中継所は井草森公園の地下にある施設で、プラスチックゴミの圧縮を行っていました(上図*1)。地下1階に設けられた穴から、運んできたプラスチックゴミを圧縮装置に落とします。④が圧縮装置で、稼働中に発生した塵やガスは集塵脱臭設備を通って、地上の公園に排出されます。

 

 グラフ3-①はこの集塵脱臭設備での濃度と、施設外の濃度(施設からどれくらい離れた所かは書かれていません)での濃度を比較しています。著者は「酸化エチレン、水銀、フタル酸エチルヘキシル、トリクロロエタンは通路では特段に大量にありますが、環境では多くありません。環境に届き難い理由があるようです。」と書いています。「通路」というのは集塵装置・脱臭装置を指すと思われます。また水銀は環境中で測定していませんので、著者の誤記です。酸化エチレンとフタル酸エチルヘキシルは集塵装置が脱臭装置の2倍検出されていて、脱臭装置と環境との差はそれほど大きくありません。塵などの固体に付着した形で排出されたのかもしれません。

 

 ここで注目したいのは、非常に毒性が強いホルムアルデヒドの濃度が最も高いのが「環境」だったことです。他にも「環境」で中継所内よりも高い濃度を示す有害VOCが多く見られます。「じっくり考えてみなければならない新しい大問題」は、実はこの点です。そのことは、著者がこの現象を別のところで詳しく解説していることからも分かります。

 

*1) 川名英之・伊藤茂孝2002 杉並病公害. 緑風出版, 316pp.

 

§3にもどる

 

 42 頁で「空気中ではとても薄い濃度だと分析されても、物や埃の表面では、びっしりと汚染分子が並んで高濃度になって、しかもその表面に着いたり離れたりするので、人の周りの汚染濃度は高いのです。」と書かれています。まさにその危険性を、マイクロプラスチックが海洋動物に与えるリスクとして、今、研究が進められているのです。杉並病からこの可能性を発見したのは、まさに先見の明でしたが、それゆえに当時の人達には理解されにくかったのでしょう。

 

§5にもどる


 44頁の最後の行に「汚染は、一様に拡散して広がるのではなく、また一様にいつも流れているのでもありませんでした。」と書かれています。そして46頁には、全体が枯れているのではなく、汚染された空気が流れた所だけ枯れたとしか解釈できない松の写真が掲載されています。

 

 「大気汚染が一様に拡散して広がるのではない」ことは、福島原発事故での放射能汚染からも明らかです。例えば、画像の早川由紀夫氏による福島第一原発事故の放射能汚染地図*1)。

 

 中心となったルートはまず北西に流れてから南西に向きを変え、群馬・長野までを汚染しています。また別のルートは南に流れてから西に方向を変え、茨城・千葉を汚染しました。このように汚染物質は一様に拡散するのではなく特定方向に流れるので、希釈されにくいのです。

 

 残念なことに、杉並病で起こっていたこの現象が社会に知られていませんでした。このため大阪府寝屋川市では住民が廃プラスチック処理工場建設に反対したのですが、「廃プラ処理により人体に有害な化学物質が排出されるが、100m離れると1000倍に薄まり、住民には影響しない。」として建設が強行されました*2)。その結果、寝屋川病と呼ばれる健康被害が、処理施設から1.5km以内の範囲で発生しました。今でも同様な理由で廃プラスチック処理工場が住宅街に建てられているかもしれません。

 

*1) 早川由紀夫氏による福島第一原発事故の放射能汚染地図

*2) 廃プラ処理による公害から健康と環境を守る会 2021 廃プラ・リサイクル公害とのたたかい-大阪・寝屋川からの報告-. せせらぎ出版, 66pp.

 

§5にもどる

 

 48頁から52頁に出てくる図は、GC-MSの分析結果です。GCはガスクロマトグラフの略で、さまざまな物質が混合した気体を化学的・物理的な性質の違いによって分離させる装置です。52頁の図で横軸に入っている数字は、いつ、その気体が検出されたかを示します。縦軸は量を示し、ピークが高いほど多く含まれています。この図ではピークがひとつひとつ分離しておらず、重なっている部分が多いです。こういう場合にMSという、質量数を測る装置の結果を合わせて、ピークが重なっている部分に隠れている物質を検出します。詳しくは、例えば下記のリンクをご覧ください。

 

 島津製作所ホームページ「GCMS分析の基礎」

 

 GC-MSで得られたクロマトグラムから保持時間とマススペクトルを用いて、各ピークがどのような物質なのかを予めメーカーが準備しているライブラリーを使って決めます。54頁から58頁で著者は、そういったライブラリーから物質名を決めようとしました。しかしライブラリーに登録されていない未知の物質が数多く、中継所周辺の空気に含まれていたと説明しています。未知の物質が安全なのか毒性があるのかは、当然ながら分からないと著者は58頁で指摘しています。その通りです。

 

 そして同じ58頁の上から10行目で著者は「体と反応しやすい急性毒性物質は、分析中にも反応して別なものに変わります。」と書いています。この文章は科学的に必ずしも正確ではありませんが、重要なのは、反応性が高いために通常は検出されないはずのイソシアネートが、中継所周辺の「環境中」から検出されていたことです。急性毒性として呼吸困難を引き起こす、非常に有害な物質です。52頁の図では、タバコの煙に含まれるニコチンより高濃度に検出されています。52頁で著者がイソシアネートの毒性について記した内容はちょっと混乱していますが、イソシアネートが反応性と毒性が強い物質であることは確かです。たとえこのときの測定値が作業環境基準値未満だったとしても、他の日時には基準をはるかに超えていたかもしれません。


§6にもどる

 

 59頁グラフ6-⑤は、とても重要な図です。中継施設でも環境中でも、特定の時間だけホルムアルデヒドが検出されています。そして検出されるときには施設よりも環境中の方が高濃度です。施設は午後の2時間だけ稼働しているわけではないし、施設からの物質が原因ならば、施設で最も濃度が高いはずだと、通常は考えるでしょう。それでも原因は施設だったのです。

 

 これと全く同じ現象が寝屋川病でも起こっていました。寝屋川病では日射量と発生したホルムアルデヒド量の比較も行っていて、施設から発生したブタンから、光化学オキシダントとともにホルムアルデヒドが生成した可能性があるとしています *1)。

 

 44頁で「大気汚染が一様に拡散して広がるのではない」ことを強調しましたが、廃プラスチック処理施設が健康被害の原因である場合、「汚染物質は原因施設から離れた所で生成することもある」ことが周知されるべきです。

 

 柳沢研究室がホルムアルデヒドを連続的に測定できる装置を、廃プラスチック処理施設から1km以内にある寝屋川病被害者宅の軒先に設置して、モニターした結果。2018年の濃度上昇があった日のみを抜粋し、30分平均値で示した。夏季・冬季ともに、日射量が多く、光化学オキシダントが高濃度の時間帯にホルムアルデヒド濃度が高くなった *1)。

 

*1) 廃プラ処理による公害から健康と環境を守る会 2021 廃プラ・リサイクル公害とのたたかい-大阪・寝屋川からの報告-. せせらぎ出版, 66pp.

 

§6にもどる

 

 76頁で著者は、中間処理施設による健康被害原因として「窒素を含む脂肪族および芳香族化合物が重い役割と持っていた。」とし、78頁では「環境中からイソシアネートや有機シアン類が検出された。」と記しています。そして81頁では被害者の症状から推定される原因化合物を大きく次の3つとしています。

 

1)アクリルニトル、アセトニトリルなどの有機シアン化合物

2)イソシアネート

3)ホルムアルデヒド、アクロレイン、アセトアルデヒドなどのアルデヒド類

 

 寝屋川病では原因物質として被害住民の間でも1)、2)は考慮されていません。特にイソシアネートは非常に反応性が強い物質です。そのような物質が中継施設で発生していたのなら、従業員が甚大な被害を受けていたはずです。

 

 59頁のコメントで、ホルムアルデヒドは「施設から発生したVOCが環境中で反応」して発生した可能性を指摘しました。同様の現象が寝屋川病でも起こっていました。シアン化合物やイソシアネートも、施設から排出されたVOC・SVOCが何らかの反応によって合成された可能性があります。「そんな反応性が高いものが、住宅街まで達するはずがない。」との主張に対抗できるように、杉並病ではイソシアネートやシアン化合物が検出され、それによる健康被害と考えられる症状があったことを記憶しておくことが大切です。

 

 ところで杉並病や寝屋川病の被害者の症状について、「化学物質過敏症」と説明されることが多いです。そういった面もあることは認めますが、それだけでは被害を過小評価してしまうと思います。

 

 たとえば重度の一酸化炭素中毒から回復したようにみえても、数週間後に記憶障害、協調運動障害、運動障害、抑うつ、遅発性精神神経症状などが現れることがあります。これらの症状は過敏症ではなく「後遺症」です。化学物質過敏症は原因物質に曝露しなければ発症を防ぐことができますが、後遺症は原因物質の有無に関わらず、症状が残るのです。杉並病の健康被害については後遺症という観点から、特に当時子供だった被害者が成人してから、精神面の障害で苦しんでいる可能性が懸念されます。

 

 東京都は杉並病の原因を「硫化水素」に限定しました。上記1)~3)が原因物質であれば、硫化水素による健康被害とは別の症状になります。このため杉並病患者のほとんどが、都からの救済を受けていません。当時の東京都が杉並病被害を隠蔽してしまったことで寝屋川病という第2の杉並病を発生させ(そして第3も?)、自身に非がないのに救済されていない杉並病被害者が今も多数いることを、「プラスチック資源循環促進法」を施行した今の日本だからこそ知ってほしいと思います。

 

§にもどる